kimikoのブログ

36歳で乳癌になりました。
トリプルネガティブで肺と背骨に転移があります。

皆さんと情報交換や励まし、愚痴など、家族や友達に話せない事など、色々な話が出来たらいいと思っております。

よろしくお願いします😄

病状説明

脱水ということで、入院をすることになりました。義理の母が、私に気を使って下さり窓側のベットになるよう看護師さんにお願いしてくれました。

外は、暖かな陽気でした。

窓を眺めながら、私は静かに目を閉じました。旦那は、翌日来てくれるとメールをくれました。

翌日、旦那は朝早くに来てくれました。

主治医の先生から話を聞くため、朝から先生を待っていました。土曜日だったのですが、私が入院したため先生は診察に来てくださいました。

私の診察が終わり、旦那と先生だけで病状説明が始まりました。

これは、随分後から聞いた話ですがその時の病状説明に私の父と弟も来ていたそうです。

そして、私はもし抗がん剤が効かなければ、年は越せないだろう…。と先生から聞いていました。しかし、旦那たちは、この時抗がん剤が効かなければ、余命2~3ヶ月と聞いたそうです。なので、今は無理をさせずゆっくりと過ごすよう家族で協力して欲しい。という話をされたそうです。

私は、何も知らないまま、ベッドで休んでいました。

点滴をしてもらったお陰で体は自分で動けるようになり、子供達も気になっていたので退院したい気持ちで一杯でした。

旦那が病状説明から戻ってきて、再度先生が病室に来てくださり、私はワガママを言って退院をさせてもらうことになりました。

先生は、お昼ご飯がほとんど食べる事が出来たらかえって👌と笑って言ってくれました😃

お昼を待つ間、旦那に言われたのは、お姉ちゃんが、成人するまで頑張って生きなきゃダメなんだからな。頑張らなきゃダメなんだぞ。

癌になって、初めて旦那に言われた言葉でした。

ガンの告知を受け、何も言わないで、ただただ毎晩私の手を握って眠ってくれた旦那。

私が少しでも痛みで起きると、痛いのか?と一緒に起きてくれました。自分は朝早くに仕事に出かけるのに、毎晩私を気にかけて、ろくに寝てなかったと思います。それでも、毎日朝早く起きて、必ず私の様子を見てから出掛けてくれました。昼間には、何度も電話をくれて具合はどう?と、心配をしてくれました。旦那は、自分の気持ちを口にすることは少ないけれど、この時だけは真剣な顔をして、私に話をしてくれました。

私は、泣きながら頷く事しか出来ませんでした。

抗がん剤

背中の激痛に毎晩襲われ、くたくたになりながら初めての抗がん剤を待ちました。

投与当日、採血をして先生の診察を受けました。特に問題もなく私の抗がん剤は始まりました。吐き気止めを内服し、そのあと、吐き気止めの点滴から開始になりました。

そして、真っ赤な色をした抗がん剤❗これは、効きそう❗オーラがでていました。

その抗がん剤が点滴のチューブから私の体に入っていきました。

抗がん剤が終了し、自宅に帰宅しました。私の体は石の様に重く、自分で体を動かす事が出来ず、ただただ眠気が私に襲いかかるのでした。

食欲もなく、寝ているだけでした。吐き気がつよく、水分も摂ることができませんでした。そんな状態が2日ほど続き、病院の看護師さんが私を気にかけて下さり電話をくれました。「もしもし…」その一言を聞いただけで、看護師さんは「大丈夫?食事や水分、とれてないんじゃない?今から、病院に来れないかなぁ?」と、私の異変に気づいてくれました。義理の母に事情を説明し病院に連れていってもらいました。そして、軽い脱水と診断され、入院する事になりました。

抗がん剤

初めての抗がん剤はエピルビシン➕シクロホスファミド…。EC療法と呼ばれるものですした。この療法のエピルビシンは心毒性が強く、一生のうちで使える量が決まっていました…。